哲学は難しい 哲学者の思想や難解な哲学書を理解する必要は。哲学とは、確かに自分個人の行動実行のための価値基準、道徳観念であることは確かです。哲学に関する質問です

①哲学は学問というよりは個人の考え方、思考とそれに伴う判断や行動ではないかと思うのですがどうでしょうか
マルクスアウレリウスの自省録なんかが顕著ですが別に 哲学者の思想や難解な哲学書を理解する必要はなくて日々感覚で捉える物事や身の回りで起きる出来事に対して理性を働かせて考える、正しいとされている物事を疑う事が哲学なんじゃないかなと個人的には思います

②哲学と数学の違いはなんでしょうか

③自分は人間の行動が脳や人体にどの様な影響を与えるのかを客観的に研究したいのですがそうなると哲学より心理学や脳科学の方が適していますか

④哲学している人間と哲学しない、そもそも哲学を知らない、興味がない人とではどう違いますか
人生においてどんな差があるのでしょうか

回答よろしくお願いします 人生が変わるアドラー心理学。オーストリア出身の精神科医。アルフレッド?アドラー 1870~1937
の心理学に基づいて書かれています。 具体的には。自信が持てない若者と。 「人
は今日からでも幸せになれる」 と説く哲学者との。対話形式が採られています。
おかげで。同じ出来事を経験しても。その事実に対して 「よい意味づけ」 を
する人もいれば。 「悪い意味づけ」 をする人もいます。このように。理想
目標 の自分に到達できないとき。自分が劣っているかのような感覚 を抱きます

哲学ーーその分かりにくさ。抽象的なものであるほど。言葉はそれだけイメージ化が困難なものになり。理解
哲学を分かりにくいものにしてしまった張本人は。古代ギリシアの
アリストテレス前-ところが。これに対して。アリストテレスの師にあたる
プラトン前 /-/は。もちろん。ただ難解だというだけでその
哲学者を責めるのは正し自分の思想を世の人々に伝達しようとするのであれば
。語り手は。相手になじみやすい言葉でその理由は。見ることが。他のどんな
感覚よりも最生命科学の目で読む哲学書。さて。3人の哲学者に進む前に。17世紀に確立し現在まで続く近代科学の思想
と。それ以前の自然や人間を対象に特に。自然や人間の説明に神が登場する
ときに各哲学者の個人的好み。悪く言えば作り話が現れる。で。最終的な答え
にたどり着くというスタイルをとっており。哲学書に見られる「上から目線」の
説教臭さや難解さがない。まず。機械に必要な組み立てるという工程が。生物
の発生過程でどう行われているのか全く説明できず。結局最初から

哲学は難しい。しかし哲学書は難解すぎて最後まで読み通せなかった。興味があっても勉強
についていけなかったという人には。今さら哲学なんて???と思っても。
大人になったからこそ理解できる哲学や思想もありますし。コミックなら気軽に
再主人公の若者の迷いや悩みに対して「俺は食われるために生きているよ」と
。淡々と答えるブタはまるで哲学者です。最澄は。大衆を救済することで自ら
も救われるという哲学に達し。空海は人間はそのままで仏になるという思想を
もちます。カントの読み方。けれどもそれは翻訳のためばかりではなく。カント自身が論じている事柄
そのものが難しいのだから。叙述もまた難しくならざるを得ない。では。
どうすれば。日本語でより正確に理解できるようになるのだろうか。ここでは『
純粋理性批判』を

哲学とは、確かに自分個人の行動実行のための価値基準、道徳観念であることは確かです。しかし時代や状況、環境が激変する場合は、他人?他者の哲学を知る、学ぶ、見習う、あるいは見習わないというような比較研究が切実に求められる場合もあります。たとえば、織田信長のような火縄銃の使い方が上手い革命児が登場した場合、そのままでは武田勝頼の武田騎馬軍団は通用しません。馬と弓矢に頼るそれまでの武士道哲学が通用しなくなるのです。伊達政宗などは、支倉常長をヨーロッパに派遣し、騎馬鉄砲隊を編成して、大坂夏の陣で後藤又兵衛を射殺することに成功しました。一方、真田幸村は戦う技術は最高レベルでしたが、仕える豊臣秀頼や、淀君がすでに時代遅れでした。幕末になれば、徳川幕府の武士道が時代遅れになり、大村益次郎や高杉晋作は蘭学を学んで、奇兵隊を編成し、勝利しました。また一方で、戊辰戦争で勝利した薩摩藩士は、明治に入って時代遅れになり、西南戦争で敗北、壊滅したのです。戊辰戦争で通用した方式、思想が、西南戦争ではすでに通用しなくなる。西南戦争で勝利した官軍は、フランス人やドイツ人の顧問を呼んで、全力で近代化を行っていたのです。幕末に咸臨丸だった日本海軍は、日露戦争ではロシア海軍をほぼ全滅させるに至りました。これは主にイギリス海軍から英語で学んだのです。日清戦争の清国海軍は、ドイツから戦艦を買って、適当にフィーリングで動かしていましたが、徹底的にイギリス海軍式のチームプレイ、ジェントルマンシップを学んだ日本の連合艦隊にはまったく歯が立たなかったのです。数字と哲学と違いでいえば、日露戦争では、日本の連合艦隊よりも、数ではロシアのバルチック艦隊の方が圧倒的に有利でした。日本の連合艦隊は数字、戦艦?巡洋艦の隻数、火砲の門数では劣っていたのです。数学的にいえば、ロシアのバルチック艦隊が勝利するはずなのです。しかし日本の連合艦隊には東郷平八郎という司令長官がいて、訓練による射撃の命中率のアップ、そしてT字戦法という奇策があったのです。また逆に、太平洋戦争のミッドウェイ沖海戦ではアメリカ海軍の空母は、日本海軍の空母に数で劣っていました。飛行機の数でも劣っていました。数字、数学では日本が勝つはずなのです。しかし日本艦隊には連戦連勝という「おごり」や、「気のゆるみ」があり、一方でアメリカ軍には捨て身の「ファイティングスピリッツ」がありました。実際、雷撃機はインデペンデンスデイのオヤジのように特攻同然で全滅しましたが、その間に急降下爆撃が成功したのです。日本は日本海海戦では圧倒的に優勢な敵に勝ち、ミッドウェイ沖海戦では、圧倒的に劣勢な敵に負けたのです。こういった勝敗は、数学、数字では説明できないのです。ハートマン軍曹のようなのがブートキャンプにいるアメリカ海兵隊が重視するのは量ではなく、精神力です。海兵隊は人数では圧倒的に多い陸軍、アーミーを徹底的にバカにしています。アメリカでも決して物量主義一辺倒ではないのです。哲学を知る人間と知らない人間は、海兵隊のブートキャンプを経験したマリーンと、そうでない新兵くらいの決定的な差があるのです。これは心理学や脳科学では理解できません。ガダルカナルや硫黄島といった歴史を知ることの方が重要です。基地に反対する沖縄県民の心理を理解するには、沖縄戦の知識がないと理解できない。脳波だけ見てもわかりません。①その通りです。②数学はどんな難解な数式も1+1=2から始まっていて、またそのルールの中だけの世界だが、哲学は1+1=1と言うことができる。例えば、1滴の水と1滴の水を合わせたら、1滴である。③脳や人体の科学的な分析と思考や行動を上手いこと結びつけて、あれこれ予想するという時点で、それは論理を武器にして闘う哲学とはまるで別ものなので、哲学ではないと思います。④哲学は持病のようなものなので、社会で生きていく人生では何の役にもたちません。言わば井の中の蛙が外の大海を知ったところで、井戸の中は何も変わらないし、どうすることもできないのです。見えてるものが違うだけで、他の蛙と何も差はありません。1.大抵の学問にも言える2.両方とも詳しくは知らないけど、哲学は紙とペンなしで思考し放題なところが面白さだと思う。3.体癖で調べてWikipediaを読めば大体納得できる。 4.特定のものに絞らないのであれば同じ。欧米文化ではキリスト教徒哲学は土台とされています。この二つを知らない人は無条件でバカにされます。政治を語るとき、社会を語るとき、科学を語るとき、文学を語るとき、医学を語るとき、天文学を語るときなどすべての学問は末端であり一部に過ぎないのです。日本文化では「人間だもの」と思います。哲学を語ろうとすると「無念無想」の禅を組みます。こうしたほうが儲かると言おうとすると「四の五の言ってないで体を動かせ」人の為に世話を焼いてあげたのに「恩に着るよ、ありがとう」で終わり、政治とはと語ろうとすると「理屈を言うな」決めごとを語ろうとすると「委員長一任」で終わりです。中江兆民は日本に思想が無いと嘆いたそうです。日本に哲学は不毛のようです。哲学とはつまるところ自分が本当に与するに値する価値観の探究です。道端に落ちているゴミのような価値観を自分の価値観として生きていたら、それは個人の自由だとしても、あまりに空しい。ゴミのような価値観の上にはゴミのような人生しかありえない。人生を絵を描くことに例えるなら、まずもってどういう絵が価値があってどういう絵が価値がないか、それがわからなければ絵の描きようがないが、もっと悲惨なのは、わからないということは何よりもわかるということであって、その結果として何の価値もない絵を空しく描き続けるということにもなりかねない。そんなことばっか考えてっと、アタマがおかしくなるよ。

  • 欲にきりなし 人間の欲望誠底なかね…
  • 絵の描き方 使って絵書くこ出来るようなるのかどう対処すれ
  • 宜しくお願い致します 宜くお願い致ます
  • おすすめ本: 法律勉強する時読む法律の基本書かって1冊だ
  • 33の悩み 森の中で静か死んだ後?な
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